About the book (Japanese)

Collateral Knowledge: Legal Reasoning in the Global Financial Markets

担保としての知識———グローバル金融市場のなかの法的思考

University of Chicago Press, 2011  シカゴ大学出版局2011年

Annelise Riles アナリース・ライルズ

コーネル大学法科大学院クラーク極東法教授、クラーク「東アジアの法と文化」プログラム所長、人類学科教授。1988年プリンストン大学卒業。1990年ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス人類学修士課程修了。1993年ハーバード大学法科大学院修了。1996年ケンブリッジ大学大学院社会人類学専攻博士課程修了、Ph.D.取得。1996年—1997年アメリカ法曹財団博士研究員。1997年ノースウェスタン大学法科大学院助教授。2000年ノースウェスタン大学法科大学院教授。1997年〜2002年アメリカ法曹財団研究員を兼任。2002年コーネル大学法科大学院教授・人類学科教授。専門は、国際法、国際私法、比較法、財産法、法人類学、金融人類学。著書に、太平洋諸島諸国の国際連合国際会議への参加過程を研究したThe Network Inside Out(単著、ミシガン大学出版局2000年、2001年—2002年度アメリカ国際法学会最優秀学術著作)、Masters of Comparative Law(編著、ハート出版2001年)、官僚制や近代的組織における文書の役割を再検討したDocuments: Artifacts of Modern Knowledge (編著、ミシガン大学出版局 2006年)、そして日米の国際金融ガバナンスへの取り組みを研究した本書Collateral Knowledge: Legal Reasoning in the Global Financial Markets(単著、シカゴ大学出版局2011年)がある。

 

議論の概要 

グローバルな金融市場の規制をより公正で民主的なものにするためにはどうすればよいのだろうか。本書は、金融市場のガバナンスを、同時にテクニカルで政治的なものにすることを提唱する 。本書では、グローバルな金融市場で実務をする日米の金融法の専門家を対象とした10年以上にわたる文化人類学的フィールドワークにもとづいて、通常あまり一般的な関心をひかない金融市場規制のテクニカルな側面に注目する。

金融市場ガバナンスは、ただ立法過程や官僚制度のなかにあるわけではない。一般投資家を含む市場参加者にかかわる日常的な金融市場規制の核には、テクニカルなものがある。市場関係者の視点を借りてテクニカルな側面に分析の焦点をあてると、ガバナンスの対象が、資本提供者からバックオフィスのスタッフや一般投資家にいたるまであらゆる市場参加者であるということだけではなく、コンピューター・プログラムや法文書といった人間以外のモノに拡大せざるをえないことがあきらかになる。

本書は、担保という装置に焦点を当て、グローバルな金融市場ガバナンスの技術と力学を分析する。担保は、金融規制のテクニカルな側面のひとつの例にすぎない。しかし、担保という装置は市場のなかに広く浸透しており、日常的な金融規制の中心的なテーマのひとつである。担保は、金融市場において必要不可欠な装置のひとつでありながら、市場の働きやその統治を考えるうえでしばしば見逃されてきた。

担保は、財産法と契約法の接点にあり、私的な規制の手法の最たるものである。同時に、担保は、さまざまなかたちで政府による規制にさらされてもいる。こうした意味で、担保には、私的な市場のガバナンスと公的なガバナンスをめぐるせめぎ合いが織り込まれている。しかも担保は文字通り金融活動の脇に位置づけられ、それ自体が注目されることはほとんどない。こうした意味で、まさに担保は、市場における法の働きを象徴するような装置である。

本書は、金融市場の規制をより安定的で、効果的かつ民主的なものとするさまざまな現在進行中の試みと志をひとつにするものである。しかし、それらの試みの多くは、規制をよりインフォーマルなものにすることによって、 この目的を達成しようとしている。これとは対照的に、本書では、金融市場規制をより公正で効果的なものとするために、あえて法の形式的側面に焦点をあて、それをある特定のかたちで積極的に使うことを提案する。

ここでいう法の形式的側面とは、立法や規制当局によって定められた厳格な規則を意味するわけではない。それは法的技術であり、法律家が通常の実務のなかで表立って使う「トリック」である。それはごく普通の金融法務の実務家によって一日に何千回も行使され、金融市場ガバナンスをいわば下から構成するものである。フォーマルなものにしろ、インフォーマルなものにしろ、上から押し付けられた規則や規制の設計図は、こうした現場の法的実践を支援するためのメカニズムに過ぎない。

市場のガバナンスの日常をみると、法的擬制(フィクション)、プレースホールダー、文書、理論、夢といったさまざまな風変わりな「モノ」がその構成要素として登場する。これらのモノこそ、私が「技術」と呼ぶものである。こうした法的技術は道具であり、目的ではない。そして、私的なガバナンスのエッセンスは、これらの技術とそれに付随した独特の認識論・倫理観・志向性にある。大げさな規制のシステムや政策とは違って、こうした技術がそれ自身に関心をひくことはない。むしろそうした技術はそれ自身から関心をそらそうとする傾向にある。もちろん、こうした技術は、特定の関心と政治的目的をもつ私的な行為者によって行使される。しかし、だからといって技術自体は目的ではなく、それはあくまでも道具であり、それに特定の政治的な視点が組み込まれているわけではない。

最後に本書の法研究上の貢献に触れておきたい。本書は、金融市場のガバナンスについての議論に貢献するだけでなく、「法と社会」論に根底的な挑戦をつきつけるものである。本書は、「生ける法」への関心を「法と社会」論と共有しながら、法律家の専門的な法知識の実践に着目する。しかし、実際の法の実践を真剣に検証すると、リアリズムだけでなく、担保のようなフィクション(擬制)がひしめく世界がそこに存在することがわかる。こうした観点からすると、「法と社会」論がよってたつ法的リアリズムの伝統は、法という知識の性格を決定的な意味で誤解しているということになる。

 

想定読者

本書は、研究書はであるが、金融一般、とりわけ金融市場規制に関心のある研究者、ならびに学生、そして金融法務の専門家や金融市場関係者を中心とする一般読者を想定している。研究者では、とりわけ金融法、国際法、国際私法、比較法、契約法、財産法、法社会学、法人類学、「法と社会」論などを専門とする研究者や学生、文化人類学の研究者ならびに学生(The Network Inside Outは日本の大学院生のあいだで広く読まれており、法人類学ならびに金融人類学のリーダーとして広く認知されている)にも広く読まれると思われる。

 

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